フロントでスイートルームの鍵を受け取った瞬間、蓮は眉をひそめた。カードキーが一枚しかない。海外の老舗ホテルは予約システムが度々こういう間違いを起こす。千夏は隣で申し訳なさそうに頭を下げていた。
「社長、本当に申し訳ありません。私の確認不足で」
「千夏のせいじゃない。明日の商談に備えよう」
蓮は短く答えて、広い廊下を歩き出した。千夏が小走りに後を追う。スーツケースのキャスター音だけが静かな廊下に響く。エレベーターが最上階で止まり、二人は角部屋のスイートルームの前に立った。
部屋の中は、千夏が想像していたよりずっと広かった。リビングとベッドルームが緩やかに区切られ、窓の外には夜の街並みが宝石箱のように輝いている。だが、ベッドは一つしかない。キングサイズのそれが、部屋の中央で存在感を放っていた。
「私、ソファで寝ますから」
千夏はミニバーの横にあるソファを指さした。蓮はジャケットを脱ぎながら首を振る。
「そんな場所で寝て、明日のコンディションに響いたら意味がない。ベッドを使え」
「でも、社長こそ休んでいただかないと」
「迷っている時間がもったいない。一緒に使えばいい。何か問題があるか」
蓮の口調は仕事中と変わらず落ち着いていたが、千夏の心臓は早鐘を打っていた。一緒に、という言葉が頭の中で反響する。入社して五年、蓮の秘書として三年。海外出張は数えきれないほど同行してきたが、同じベッドで夜を過ごすのは初めてだった。
「問題ないです。ただ、ご迷惑でなければ」
「迷惑なわけがない。君が気にするなら、部屋を分けるようフロントに掛け合うか」
「いえ、もう夜も遅いですし、このままで」
千夏はそう言って、スーツケースを壁際に寄せた。蓮はミニバーからミネラルウォーターを二本取り出し、一本を千夏に差し出す。
「長旅で疲れただろう。先にシャワーを使うといい」
「では、お言葉に甘えて」
千夏はバスルームに向かった。大理石の洗面台に高級なアメニティが並び、天井から降り注ぐシャワーが疲れを洗い流していく。だが、頭の中は蓮のことばかりだった。仕事では決して見せない優しさや、ふとした時に感じる色気。秘書として一線を引いてきたのに、今夜はその距離が崩れてしまいそうで怖かった。
バスルームから出ると、蓮はリビングの椅子に座り、タブレットで明日の資料を確認していた。千夏はホテルのガウンを身につけ、髪をタオルで拭きながら近づく。
「社長、お待たせしました。どうぞ」
