控え室の窓から見える街灯が、雨に濡れたアスファルトを鈍く光らせていた。咲は純白のウェディングドレスをハンガーにかけたまま、少し離れた場所からぼんやりと眺めている。指先はひどく冷えていたが、それは夕方から降り始めた雨のせいだけではないような気がしていた。
明日、咲は結婚する。大学時代から五年付き合った誠実な男と、多くの人に祝福される式を挙げる。準備はすべて整っている。なのに、胸の奥に小さな棘が刺さったままで、呼吸のたびにちくりと痛む。その棘の正体を、咲はずっと前から知っていた。
「咲、起きてるか」
窓の外をぼんやり見つめていると、控え室のドアの向こうから懐かしい声が聞こえた。心臓が跳ねる。声の主が誰かなんて、聞き間違えるはずがない。
「……航」
咲がドアを開けると、そこには濡れた髪をかき上げる幼なじみの姿があった。黒いコートの肩が雨に濡れて色を濃くしている。航は少し照れたように笑って、手に提げた小さな紙袋を差し出した。
「最後の挨拶に来た。明日は式に出るけど、今日はどうしても二人で話したくて」
「最後って、縁起でもない言い方やめてよ」
咲は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。航を部屋に入れると、彼は遠慮がちに壁際の丸椅子に腰を下ろす。長い付き合いなのに、二人きりでこんなに距離を感じるのは初めてだった。いや、違う。距離を感じるのではなく、近づきすぎることを怖がっているのだと咲は思う。
「それ、何?」
咲が紙袋を指さすと、航は中から小さな木箱を取り出した。蓋を開けると、真珠のピアスが一つだけ入っている。
「これ、俺が持ってても仕方ないから。母さんが若い頃に使ってたやつでさ。咲に似合うと思って」
「一つだけ?」
「もう片方は、たぶん家のどこかにあるんだけど見つからなくて。だからこれは、咲が持っててほしい。俺の代わりに」
航の声は静かだったが、その言葉は咲の胸に深く刺さった。咲は木箱を受け取り、ピアスをそっと手のひらに乗せる。小さな真珠が、雨の夜の光を吸い込んでほのかに輝いていた。
「航の代わりって、やっぱり最後の挨拶みたいじゃない」
「そうかもな」
航は小さく笑った。その笑い方に、咲は昔のままの航を見る。小学生の頃、隣の家に住んでいた航は、咲が泣いているといつも黙ってそばにいてくれた。中学生になっても高校生になっても、航は咲の一番近くにいた。なのに、咲は航を選ばなかった。
「なんで、私が航のこと好きなのに、航は何も言ってくれなかったの」
咲の口からこぼれた言葉は、自分でも驚くほど素直だった。航は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと視線を落とす。
