真由がリビングのソファに座ってスマホを眺めていると、玄関のチャイムが鳴った。壁時計は午後七時を少し回ったところで、夫の和也が「今夜、剛が来るから」と言っていた時間通りだった。真由は立ち上がり、スリッパの音をさせながら玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこには和也の大学時代からの親友、剛が立っていた。長身で肩幅の広い体に、濃紺のカッターシャツを着て、黒いボストンバッグを手に提げている。三十五歳になっても彼の顔立ちは引き締まっていて、顎のラインがくっきりとしていた。
「お邪魔します、真由さん。急にすみません」
剛は少し照れたように頭を下げた。一週間前に自宅マンションの水回りが大規模に故障して、工事が終わるまでホテル暮らしだと聞いた和也が、うちに来いよと誘ったのだ。
「いえ、全然。どうぞ上がってください」
真由は笑顔で答えて、彼をリビングへ通した。結婚して五年、剛とは何度も食事を共にしているから、気心は知れている。
その夜は和也も早く帰ってきて、三人で宅配ピザを頼み、ビールを飲みながら遅くまで話し込んだ。剛は独身で、彼女もいないらしく、和也が「お前、そろそろ落ち着けよ」とからかうと、「そういう真由さんみたいな人と出会えたらな」と笑っていた。真由は少しだけ胸の奥がざわついたが、すぐに話題は別の方向へそれていった。
剛が泊まるのは和也の書斎兼客間だ。真由がシーツを新しくして、枕カバーも替えておいた部屋に、彼はボストンバッグを置いた。壁を一枚隔てて、真由たちの寝室がある。
最初の数日は何も変わらなかった。真由はパートから帰ると夕食の支度をし、和也が帰る前に剛と二人だけで過ごす時間もあったけれど、会話はどうでもいいテレビの話題や、お互いの仕事の愚痴くらいだった。剛は礼儀正しく、真由が料理をしているときは「手伝います」とキッチンに立とうとした。真由が「大丈夫ですよ」と断ると、彼は食器を並べるくらいはさせてほしいと言って、カトラリーをテーブルに並べた。そういうところが、和也にはない気遣いだった。
三日目の夜、和也が急な残業で帰れないと連絡してきた。真由は少し迷ったけれど、作り置きの肉じゃがを温めて、剛と二人で夕食をとった。
「和也、最近遅いんですか」
「うん、まあ、年度末だしね」
「真由さんは寂しくないですか」
剛の声は低くて、耳に残る響きがあった。
「慣れましたよ。仕事だから仕方ないし」
真由がそう言うと、剛は箸を置いて、少しだけ真由の顔をじっと見つめた。
「そういうの、俺だったら絶対に放っておかないけどな」
その言葉はあまりに自然で、まるでずっと言いたかったことのように滑り出た。真由は返す言葉を探したけれど、見つからなくて、代わりに「剛さん、おかわりどうぞ」と鍋を差し出した。
四日目の午後、真由がシャワーを浴びていると、脱衣所の外で物音がした。急いでバスタオルを巻いて出てみると、剛が洗面台の前で手を洗っていた。彼は真由の姿を見ると、さっと目をそらしたけれど、その前に一瞬だけ、彼の視線が真由の鎖骨のあたりをなぞったのがわかった。
「すみません、手を洗いたくて」
